自由主義段階における英国を中心に編成された多角的決済システム


 自由主義段階では、イギリスが世界経済の覇権国であった。1870年代までは世界の貿易は自由貿易がほとんどで商品取引、資本、労働力の移動などにはほとんど制限は無かった。
 1870年代後半からは世界は保護貿易への流れとなり、1877年にオーストリア・ロシア・ハンガリーが保護政策を始めるとイタリアやアメリカ、フランスも次々と保護政策へと流れていった。
 イギリスは産業革命を最初に経験した国であり、唯一の工業国となった。周辺国は農業を中心とした産業構造となっていた。1870年頃までは、大陸諸国との格差は拡大していく一方だったが1870年代以降アメリカ・ドイツが急激に伸びてきた。アメリカの産業は広大な市場がある国内向け、ドイツは加工貿易型工業中心であった。
 イギリスは軽工業製品中心の輸出構成、ドイツは鉄鋼・機械などの重工業製品中心でイギリスの輸出は欧州大陸から周辺地域や帝国圏内に向かうことになっていった。またアメリカ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチン、インドなどが穀物、綿花、羊毛、食料などの輸出を拡大させていきイギリスは貿易の中継基地という役割ももつようになってきて工業諸国の所得水準が上昇してくるとともに、お茶、コーヒー、砂糖などの嗜好品の貿易も増加した。
 資本輸出の面では、イギリスは世界の銀行と呼ばれ短期資金の供与に加え、長期資本輸出国でもあった。19世紀前半にはヨーロッパ大陸の投資から始まりその後インドや対アメリカ投資が拡大していった。投資対象は初期には大陸諸国の公債や鉄道証券、インドやアメリカの鉄道建設だったが1860年代以降はアルゼンチンやカナダオーストリアの鉄道、港湾、道路などに広がっていった。
 世界貿易の多角化につれて決済方法も多様化した。イギリスの貿易赤字で流失したポンド資金はアメリカや欧州大陸の黒字国へと流れていった。アメリカは受け取ったポンド資金を大陸諸国に対する投資収益の支払いに利用するとともに周辺農業国から購入する農産物、原料の代金として周辺国への支払いに利用した。欧州大陸の工業国はイギリスやアメリカから受け取ったポンド資金を周辺農業国からの輸入支払いに利用した。周辺農業地域はアメリカ、ヨーロッパから受け取ったポンド資金をイギリスに対する利払いで使用していた。この当時の決済システムは上手く機能していたといえるであろう。

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