第二次世界大戦後の国際通貨システム


 国際通貨システムは第一次世界大戦前まではポンドが国際的な基軸通貨であったが、両大戦間にポンドからドルに移り、第二次世界大戦後にはドルが基軸通貨になった。
 1944年7月アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズに連合国側の44カ国代表が参加して開かれた国際会議は、戦後の世界経済運営の枠組作りに成功し、為替の安定と無差別多角的な貿易取引を通じて世界経済を秩序ある成長軌道に復帰させることになった。
 この会議で設立された国際通貨基金(IMF)の協定により協定締約国は金もしくはドルを基準として固定平価を設定し平価の上下1%以内に相場を維持する義務を課した。
 こうしてできあがったブレトンウッズ体制は最初の20年は期待通りに機能したが1960年代になると、基軸通貨ドルの通過基盤が弱体化し制度全体が不安定になっていった。
 1960年10月ロンドンの金市場で金1オンス41.6ドルを記録、米国の景気拡大政策によるドル過剰問題の深刻化が予想された。ドイツ、オランダの為替平価を切り上げ、金プール制の創出、外国通貨当局の金交換自粛でしのいだ。
 しかし1968年3月ポンド危機を契機にドル切り下げに波及するとの思惑が生じてゴールドラッシュが起こり金プール制が崩壊、金の2重価格制などの制度を取り入れるが1971年8月ニクソン大統領によって金交換が停止された。
 1971年12月固定相場制を回復するためにワシントンのスミソニアン博物館で各国は金との交換性を持たないドルに対して新たに基準相場を設定しその上下2.25%の範囲内に相場を維持することが約束された。しかしドルへの信頼は回復せず、1973年2月から3月にかけて主要通貨は変動相場制に移行した。
 1973年から76年にかけて石油危機が起こりドルは緩やかに上昇した。その後79年にかけて景気回復のための拡張政策によりドルは緩やかに下落した。
 1979年より85年にかけてはドルが急上昇したが88年にはプラザ合意による国際協調で80年水準までドルが下落した。それ以降はルーブル合意やアメリカの双子の赤字が持続していることもあり緩やかに下落することになった。
 90年代に入り欧州圏がユーロを導入したがまだまだドルは基軸通貨として活躍していきそうだ。

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